高次脳機能障害で病識を持つのは難しい~自立とはこういうことか?までの体験

「私はインフルエンザ脳症で高次脳機能障害になりました。その結果、記憶力が悪くなりました。」

 

これが私が抱いた最初の病識です。

 

最初に自分の状態を知らされたのは大学病院を退院するとき。入院中に毎日行った記憶の心理検査の結果を心理科の先生から伝えられました。

 

「検査の結果、記憶力は100人中100位。要見守り。一人での生活は禁止。」

 

そんなことを言われたと思います。

 

入院当初から毎日心理検査を受けて、記憶力を数値化していたようです。記憶力の変化の様子がグラフ化されていました。

 

退院時にも関わらず、私の記憶力は健常者の領域には達していませんでした。はるか下です。一人で生活ができるレベルではありません。

 

「そんなことないよなぁ。だって入院中も普通に生活が出来ていたし。」

 

そのときはそう考えていました。退院したらすぐに入院前のような生活が送れると信じていました。

 

病識が無いままにぶち当たった壁

最初に高次脳機能障害に苦しめられたのは仕事を再開した直後でした。

 

私、本気で以前のように仕事が再開できると信じていたんです。仕事が再開できて当然だと考えていました。1mmも疑っていませんでした。

 

病識が無いってやつなんだと思います。

 

病識が無いままに仕事を再開しました。その結果…

 

発狂寸前まで追い詰められました。

 

     

  • そもそもどこで仕事を中断したのかを思い出せない。
  •  

  • 仕事を思い出すために記録を振り返る。
  •  

  • 振り返る最中に振り返った内容を忘れる。

 

「中断した仕事を忘れたなら、振り返ればいいじゃない。」

 

そう考えたんですよ。…できませんでいた。振り返っている最中に振り返った内容を忘れてしまうのです。頭の中に残らないのです。

 

「それなら振り返りながら、記録を清書すればいいじゃない。いつでも振り替えられるでしょ?」

 

そう考えたんです。それもダメでした。「なぜこれを書いたんだろう?」って疑問に感じてしまうんですよ。

 

「この結論に至った根拠は何?どこに証拠があるの?」

 

こんな疑問がどんどん浮かんできます。一度疑問がわくと解決しない事には次に進めなくなります。また過去の振り返りが始まります。

 

振り返ろうにも、振り返っている最中に「あれ?なんでこんなことしているんだろ?」って今の自分の行動に疑問を感じてしまうのです。

 

そうなんです。振り返るきっかけを忘れてしまうのです。

 

メモしておけばいい?そうですよね。でも…メモを取ったとすら忘れてしまいます。事実上メモは役に立ちません。

 

さらに言うと色々な所にメモを書いてしまいます。どこにメモを取ったのかを忘れてしまうからです。手当たり次第に周囲にある紙にメモを取ってしまいます。

 

ひどい有様です。

 

これって「記憶障害が原因で遂行機能障害が起きている。」ってやつなんだと思います。いつまでも作業が終わりません。

 

     

  • 病識が無いから以前のように作業を始めてしまう。
  •  

  • 病識が無いから昔のような対応を取ってしまう。
  •  

  • その結果失敗する。
  •  

  • でも病識が無いから失敗する理由が分からない。
  •  

  • 病識が無いから出来るはずだと信じて続けようとする。
  •  

  • でも‥‥以降繰り返し。

 

自分は「高次脳機能障害なんだ」だと頭では理解していました。しかし病識がありませんでした。昔のように作業を始めてしまいました。

 

その結果が、グルグルと同じことを繰り返して泥沼です。さんざんな目にあいました。本当に悲劇です。

 

病識が無いってこういうことなんですね。

 

運転再開の許可が下りない…まだ病識が足りない

私が運転再開できたのは、病気をしてから約1年後です。
↓↓↓

     

  • 2019年1月発症
  •  

  • 2019年4月~リハビリ
  •  

  • 2020年2月運転再開
  •  

  • 2020年11月(今日)

 

急性期に入院した大学病院の主治医は「運転再開はできそう」と言っていました。でも運転再開までに1年もかかるとは思ってもいませんでした。これほどまでに時間がかかった理由は2つあると考えています。

 

     

  • 易疲労
  •  

  • 病識のなさ

 

今回は「病識のなさ」がテーマとなるので易疲労は置いておくとして…

 

私千葉リハの診察でいつも語っていたんです。「自分は以前と同じように運転ができる」って。

 

これって元々の慢心する性格が現れているのですが、病識が無いからこういうことが言えるんですよね。障害を自覚していないんです。

 

自分にどういう障害があるのかを自分事として実感していない。どこか他人事。自分はもっとできるはずだ。出来て当然で。出来ないのはおかしい。

 

そんな状態にあるのを診察で見抜かれていたのだと思います。まさに病識が無い状態です。

 

【病識が無い限りは運転再開の許可は絶対におりません。】

 

当たり前ですね。病識が無いおかげで数か月に一回の診察のたびにガックリきていました。

 

運転再開がダメな理由が分からないのですから。自分は大丈夫だと考えているのに…。(だからダメなんですけれどね)

 

病識を持つということはこういうことかな?

「病識を持つということは、自分の障害を第三者目線で指摘できるようになること。」

 

なのかな?って今は思っています。

 

「お前ここがダメじゃん。出来てないじゃん。出来ている?」
「いや、できていませんから。」

 

こんな自問自答ができるようになることが病識を持つということ。

 

そして

 

「じゃぁ、どうすれば出来ないのを自分の力でフォローできるようになるのか考えて実践しようか。」

 

こんなことを自ら考えて、実行できるようになるのが自立なのかな?って思います。