「障害が見えづらい」はメリットではなく「二次障害への入口」だと気づいた話

私、千葉リハで診察を受けた時に脳神経内科の先生にこう診断されました。

 

「障害が分かりづらい」「見えづらい」

 

私の事情を知らない人が私を見たら「障害があるの?気づかなかった!」ってなるパターンなのだと思います。

 

これってどうなんでしょうね?障害に気付かれないって良い面と悪い面がある気がします。

 

っていうか私はこの特性のせいで二次障害を起こしかけています。話はあまりよくない方向に進んでいるのかもしれません。

 

他人から障害が見えづらいはメリットなのか?

 

高次脳な私ですが、黙って静かにしていればボロが出ません。出しゃばらなければボロが出ません。慎重に行動すればボロが出ません。ある意味、周囲に迷惑をかけることなく、順調に回せているってことですよね。みんなストレスゼロで万々歳です。

 

黙っていればバレないのって、ある意味幸せなのかもしれません。世の中には「精神障碍者」というラベルが付いただけで、詳しい事は何一つ知らないのに「危ない人だ」「凶悪犯だ」と決めつける人がいます。ツイッターでそういう人をさんざん見ました。そういう人たちの攻撃を避けられます。

 

マスコミもそうですよね。犯罪を犯した人が精神障碍者福祉手帳を所有していると大喜びで報道。差別を広げる活動に大いに力を注いでいます。

 

多くの人たちが想像する障害者って「車いすに乗った人」ではないですかね。あとは喋れない人、盲目な人かな?そういう目で見て理解できる方々を指すのだと思います。

 

まさか、頑丈そうな体格をしているのに音がうるさいだけで疲れ果ててしまったり、パソコンやスマホを手にしたITに強そうな人が電車の乗り換えも出来ない。

 

…なんて想像もつかない事でしょう。(私の事ですけれど)

 

今は違うのですが、以前の私はスグにグッタリ疲れ果てていましたし、電車の乗り換えもできませんでした。だいぶ障害が酷い状態だったと思います。

 

でも、はたから見ると普通の人なんですよ。外で怒って叫んだりしませんし。電車に乗れなくなっても静かに対策を考えていましたし。

 

私、困りごとが起きても自分で解決しようとするんです。

 

自分の立てた計画が現地で不可能だと気づいたときにパニックに陥る方だっていると思います。移動することに固執しすぎて、とんでもない行動をとる方もいるかもしれません。

 

幸いにも私はそうはなりませんでした。「だめそうなら諦める」という選択を取っていました。仕事以外での困り事では無理をしなかったんですよね。元々のいい加減な性格が幸いしていたのだと思います。私ってけっこう雑な性格なんです。めんどうになったら「もういいや」なんですよ。

 

こんな私を知らない人が見たらどう思うでしょうか?たぶん「いい加減な人」って思うかもしれないですね。なにせ遂行機能障害で目的を達成できないのに「もういいや」と投げ捨ててしまうのですから。

 

高次脳機能障害ゆえの結果だとは思われないでしょう。

 

私の障害は見えにくいってどういうこと?

私は千葉リハで「障害が見えにくい」という診断を受けています。

 

これってどういうことなのかというと、先ほどの「もういいや」とあきらめてしまう部分。そしてもう一つの私の特性の影響だと思います。

 

どうやら私は障害を隠すのが得意なようです。とはいっても嘘をつくわけではありません。

 

自分で言うと「何言ってるのこいつ?」ってなるのですが、ウエクスラーなどの知能検査や心理検査を受けた結果から、私はだいぶ知能が高いようなんです。動作性IQとか言語性IQとかそういうパラメーターなんですけれど。

 

「うわぁすげぇ!俺、頭良いんだぁ!」なんて一瞬喜びもしましたが…なにせ凸凹が酷くて素直には喜べない状況ですけどね…。とにかく机上のテストだけは成績が良いようです。

 

で、高次脳の状態でIQが高いとですねこんな問題が起こるんですよ。(私の場合は)

 

  • 障害の特性上、自力では対応できない問題が発生する。
  • 一般的な人はあきらめる。助けを呼ぶ。
  • しかし私は別の解決策を見つけ出してしまう。
  • その結果、無理矢理ゴールに到達してしまう。

 

わかるでしょうか?本当は記憶障害ゆえにまっとうなやり方で、答えにたどり着けないのです。なぜなら思い出せないから。

 

ところが私は状況や些細の情報から判断して、答えを推測してしまうのです。これって記憶は関係なくて別の能力の影響。

 

計算で導き出した答えにたどり着けるのですが、あくまでも推測。事実ではありません。もちろん正確にたどり着けるときもあります。が、不正解だってありえます。しかし私にとってはどちらも正解なんですよね。だって本来の正解は忘れていますからね。

 

これがすっごい厄介な結果を導く可能性が高いのです。

 

いわゆる「自信満々にミスをする」という私の障害の十八番が発動するわけです。

 

覚えていないのに、自力でそれっぽい答えが導き出せてしまう。だからそれが正解だと信じ込む。100%疑っていないから私の中で真実となります。だから自信をもって堂々と行動する。でも事実とは違うため不正解となる。

 

結果は失敗。何度も繰り返すうちに自分に自信が持てなくなります。自信喪失です。行動ができなくなります。そして二次障害に繋がったのが現在の私です。

 

こうして書くと本当によくわかります。私が千葉リハで「二次障害を起こしている」と診断されたロジックが。自分の能力で自分を容赦なく痛めつけている状況ですね。

 

「障害がみえにくい」ってメリットじゃないです。「二次障害への入口」のようです。

 

障害が見えにくいって無慈悲すぎるなぁ

私「障害が見えにくい」って診断を受けた時こう思ったんですよ。

 

「だったらごまかせるんじゃ?」

 

障害があるけれど障害が無いように見せかけられるのって、メリットだと思ったんですよね。

 

実際は障害があるから出来ないことがある。失敗もする。でも嬉しかったんですよ。だって障害者ではないようになれる瞬間があるってことなんですよ。私嫌なんですよ!今の自分が!(やっぱり私は自分を許していないんだなぁって今思いました。)

 

あぁそっか。私は私が嫌いなんだ。嫌いなんだけれど、ずっと今の自分と付き合わなくちゃならないんだ。だから何とか自分を取り繕って慰めようとしているんだ。

 

その結果が二次障害。なんだこれ?

 

我ながら面白い発見をしたと思います。まるで毎日が自分探しの旅ですよ。

 

周りからの影響を受けやすくなっているのかなぁ?軸がなくなっている?流されやすい?

 

病気をして以来、その傾向がある気がします。以前の私は「なんでもできるぞ!」「俺に従えば正解だ!」って感じだったのになあ。

 

今の私って、自分自身からも障害を見失いやすいから、変に期待をしてしまって、昔の私にボコボコに返り討ちにされている感じです。このままで精神は持つのかしら?新しい心配がやってきました。